オリンピックなどで多くのメダルを獲得した羽生結弦さん。
そんな羽生結弦さんの家族はどのような方なのでしょうか。
この記事では、羽生結弦さんの両親や兄弟について書いていきます。
羽生結弦の家族構成
羽生結弦さんの家族構成は、父親と母親、姉と羽生結弦さんの4人家族です。
羽生結弦さんの家族について、それぞれ書いていきます。
父親
羽生結弦さんの父親は、羽生秀俊という名前で、中学校の教員をしていました。
2021年からは、宮城県の利用町立利府西中学校の校長先生を務められています。
教員をしていた際は、野球部の顧問をされていたそうです。
父親が野球の顧問であることから羽生結弦さんも野球好きでフィギュアスケートの他に野球も勧められていたそうです。
また、結弦という名前は、父親が考えた名前で、「弓を結ぶ弦のような凛とした人間になってほしい」という願いを込めたそうです。
名前の由来通り、凛とした素晴らしい人間に成長していますね。
母親
羽生結弦さんの母親は、羽生由美さんという名前で、専業主婦をされているそうです。
フィギュアスケートは、衣装代や靴代、練習場台など結構な費用がかかってしまうので、パートを掛け持ちしていたこともあったそうです。
羽生結弦さんは、幼い頃あがり症だったそうですが、母親がメンタルコントロールを勉強してくれたおかげで克服することができたそうです。
また、2012年にカナダに渡ってからも母親が食事を用意してくれており、オリンピックや世界選手権にベストコンディションで挑めたそうです。
カナダでは、ステーキやジビエ料理が羽生結弦さんに合わず、体調不良などになっていたそうなので、母親がいなければ、世界で活躍することはなかったかもしれませんね。
姉
羽生結弦さんには、羽生沙耶さんという姉がいます。
姉は現在、アイスリンク仙台の職員をされているそうです。
また、姉は、羽生結弦さんよりも先にフィギュアスケートを始めており、羽生結弦さんがフィギュアスケーターになるきっかけでもありました。
当時はこけてばかりで、楽しくなかったそうですが、「姉がやるなら俺もやる」と奮い立たせて、負けないように食らいついていたようです。
羽生結弦さんの最初のライバルは、姉だったのですね。
羽生結弦と両親のエピソード
羽生結弦さんと両親の仲は良いようで、多くのエピソードがあります。
羽生結弦さんと両親とのエピソードを紹介していきます。
父親:練習の送り迎えをしてくれていた
羽生結弦さんは、幼い頃から練習しており、深夜に帰宅することも珍しくなかったそうです。
そんな中送り迎えをしてくれたのが父親でした。
送り迎えをしてくれる人がいなければ、練習をすることが難しくなるので、父親が練習を陰ながら支えたということになりますね。
また、父親には、「どんなにフィギュアの練習が大変だったとしても、勉強は続けなさい。将来は一流の選手である前に、一流の社会人になってほしい」と言われ続けたそうです。
そのおかげで、羽生結弦さんは、早稲田大学を卒業することができ、素晴らしい人格の持ち主となっています。
母親:未来を予感していた
羽生結弦さんが9歳のときに行われた家族会議で、父親は、経済的な面から羽生結弦さんがフィギュアスケートを続けることを反対したのだそうです。
しかし、母親は「結弦は将来必ず世界に羽ばたく子だから」と言って、必死に父親を説得したそうです。
常に羽生結弦さんの練習を見ていた母親は、子供の成功を予感していたのかもしれません。
母親:恋愛禁止令を出した
羽生結弦さんは、様々な女性と交際の噂がありました。
そこで、母親は、「ユズは若いので恋の噂が立つだけで振り回されてしまう」と考え、恋愛禁止を言い聞かせたのだそうです。
事実とは異なる悪口であってもメンタルには、多少なり影響は出てしまいやすいので、ベストパフォーマンスを出すために恋愛を禁止したのだと思います。
実際、羽生結弦さんは、現役最後までスケートに打ち込むことができたと思います。
母親:もうひとりのコーチ
羽生結弦さんは、ISUグランプリファイナルで3連覇を達成したときに宿泊先のホテルで、母親に「ありがとう」と言って、金メダルをかけてあげたのだそうです。
羽生結弦さんは、母親のことをもうひとりのコーチと言っており、感謝と尊敬をずっとしています。
母親が熱心にサポートしてくれていなければ、フィギュアスケーターとしての成功はなかった可能性が高いと思います。
羽生結弦と姉のエピソード
羽生結弦さんと両親のエピソードを紹介しましたが、姉とのエピソードも紹介しています。
羽生結弦さんと姉のエピソードも紹介していきます。
ダブルアクセルの見本にした
羽生結弦さんと姉は、ライバル関係に合ったことを前述しましたが、羽生結弦さんがダブルアクセルを飛べるようになったのは、姉を見本にしたからなのだそうです。
羽生結弦さんがダブルアクセルを飛んだのは小学3年生で、当時の姉は、高校生でした。
高校生の姉を見本にしたとしても、小学生で成功させてしまうのは、天才ですよね。
羽生結弦さんにフィギュアスケートの基礎的な部分やある程度の応用技を教えたのは、姉なのかもしれません。
まとめ
今回は、羽生結弦さんの家族について書いていきました。
羽生結弦さんの父親は、中学校の校長先生をされていて、母親は、専業主婦をしていました。
姉は、アイスリンク仙台の職員ということで、現在もフィギュアスケートに間接的に関わっていました。
羽生結弦さんの成功は、家族のサポートがあってこそで、初めてのライバルである姉から多くのことを学んでいました。
いつまでも両親や姉と仲のいい関係でいてもらいたいですね。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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