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横山裕の生い立ちは壮絶だった?両親や兄弟の家族情報も!

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アイドルとしてだけでなく、タレントとしても活躍中の横山裕さん。

その横山裕さんの生い立ちが壮絶だったそうですが、知らない方は多いと思います。

この記事では、横山裕さんの生い立ちなどについて書いていきます。

横山裕の生い立ち

引用:https://www.sankei.com/resizer/EROsrVbp6Ktj4dRorCUXkaezAfs=/730×0/filters:focal(1922×905:1932×915):quality(50)/cloudfront-ap-northeast-1.images.arcpublishing.com/sankei/FOWDYDHE45DQHFJMYPUPLBUVWI.jpg

 

横山裕さんは、現在芸能界で大活躍中ですが、幼少期から現在まで壮絶な人生を歩んできていました。

横山裕さんの生い立ちについて書いていきます。

幼少期

横山裕さんは、大阪府に生まれますが、3歳の時に両親が離婚し、4才の時に同じ団地に住んでいた母方の祖父母に引き取られることになります。

そして、5歳のときに母親が再婚をしますが、義理の父親と横山裕さんの相性は最悪で、母親とは暮らさず、祖父母に育てられました。

横山裕さんが6歳のときと8歳の時に弟が誕生します。

横山裕さんは、祖父母と共に生活を続けていましたが、小学5年生のときに祖父が体調を崩してしまい、義父と母親、2人の弟、祖父母と横山裕さんの7人での生活となります。

弟とは、仲良くしていたそうですが、義父との関係は悪化しており、横山裕さんに中卒で働くことを強要したそうです。

ジャニーズ入所

横山裕さんは、中学卒業後から建設現場で仕事を始めることになりますが、素直で明るい性格であったことから人間関係は良好だったそうです。

また、母親がジャニーズ事務所に履歴書を送っていたことから中学卒業時点でジャニーズに入所しており、芸能界に入るため建設現場を退職した時には「芸能界でうまくいかなければ戻ってこい」と言われたそうです。

横山裕さんがジャニーズになるきっかけを作ってくれた母親が癌を患ったと同時に離婚となり、弟は児童養護施設に送られてしまいます。

関ジャニ∞としてデビュー

2002年に横山裕さんは、関ジャニ8のメンバーとしてデビューをします。

着実に人気になっていき、2004年には関ジャニ∞に改名をし、CDデビューしました。

ジャニーズとして芸能界で活躍し始めていた最中に当時50歳だった母親が買い物中に倒れ、そのまま亡くなってしまいます。

このとき横山裕さんが29歳で、弟が23歳と21歳だったので、2人の面倒を見ていくと決意したそうです。

母親が亡くなったときには、ツアー真っ最中だったことからツアーの中止をスタッフは提案したそうですが、横山裕さんは、予定通りライブを行い、元気な姿を見せていたのだそうです。

母親が亡くなった1週間後に6歳下の弟が倒れてしまい、母親の死にまつわる2年ほどの記憶が抜け落ちてしまいます。

そこで、横山裕さんは、家族の時間を大切にし、家族旅行などを行ったことで、弟の記憶は戻ったそうです。

弟が結婚するときには、結婚式は挙げない予定だったそうですが、横山裕さんが「男として結婚式を挙げろ」と説得したことで、結婚式を挙げることになります。

結婚式では、横山裕さんがサプライズでトランペットを演奏する予定だったのですが、直前に弟から感謝の手紙をサプライズでもらい、涙でトランペットが演奏できなかったそうです。

親を頼ることができず、辛い人生を歩んできてはいますが、弟のために頑張りつづけたのはすごいことだと思います。

横山裕の家族構成

引用:https://images.entamenext.com/articles/23000/23982/478×850/29bd94063a5d343c8bb77de106e020e8.jpg

 

横山裕さんの家族構成は、父親と母親、横山裕さんに2人の弟の5人家族です。

横山裕さんの家族について書いていきます。

父親

横山裕さんの本当の父親については、3歳の時に離婚しているので、情報が何もありませんでした。

母親の再婚相手である義父についても、詳しい情報は出ていません。

しかし、母親が癌になった際に、義父は子供に愛情が無かったことから横山裕さんと弟は、児童養護施設に送られていました。

再婚時から横山裕さんとの関係が悪いことからおそらく、義父は、子供が好きではない方だったのではないかと予想できます。

母親

横山裕さんの母親の名前などの個人情報は出ていませんでした。

横山裕さんは、母親に振り回される人生となってしまいましたが、母親のことが大好きなことは変わらないそうです。

また、横山裕さんは、女手一つで育ててくれた母親への思いを綴った「オニギシ」という曲を作っています。

「オニギシ」とは、横山裕さんが幼い頃におにぎりが言えず、おにぎしと言っていたから曲名にしたそうです。

義父とは異なり、母親の子供への愛情は深く、横山裕さんが給与をもらえたときには、当時の横山裕さんの担任の先生に給与明細を見せに行ったのだそうです。

その時の母親は嬉しそうにしていたと当時の担任の先生から聞かされた横山裕さんは、涙を流していました。

母親は、50歳という若さで亡くなられていますが、今もなお横山裕さんのことを応援し、活躍に喜んでいると思います。

兄弟

横山裕さんの2人の弟については、名前などが判明しています。

  • 6歳下の弟:勤
  • 8歳下の弟:充

勤さんは、高校卒業後に就職をしたそうですが、充さんは、大学進学を希望したため、横山裕さんが学費を負担したのだそうです。

また、充さんは、京都産業大学を卒業後、法政大学会計大学院に進学しており、税理士を目指しているそうです。

現時点で弟たちが何の仕事をしているのはわかっていませんが、立派に働かれていると思います。

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まとめ

今回は、横山裕さんの生い立ちや家族について書いてきました。

横山裕さんは、壮絶な人生を送っていましたが、今や日本のトップアイドルになっています。

今後も天国にいる母親に喜んでもらえるようにアイドルやタレントとして頑張ってもらいたいですね。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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